会社概要

  • HOME »
  • 会社概要

ご挨拶


40年以上に渡り、市販車の開発に於いて ”世界初、世界唯一という商品や技術、そしてブランド” を創りだし、
レース活動に於いても ”前例のない戦績やレース作戦” を生み出してきました。

世界初や前例のない挑戦には過去の事例や教科書などは無く「本質に基づいた新しい発想法や実現手段」を
創りだすことは必須です。

しかしながら、組織や業務基準に従い整然と業務運営がされている大企業の中で「過去に例の無い事や世界初」
への挑戦は
『難しい、出来ない』の一言で敬遠される傾向があります。

「最少の資源(人、モノ、金、時間)が最高のチームと結果を造りだす」これが私のエッセンスです。
それは「広い視野で各自が役割と達成目標をプロセス毎に持ち、本質とデータに基づき実行し、
やり直しや手戻りを撲滅」する事です。

日産R35GT-Rの開発や世界展開で、私は「企画、開発、収益、販売、保証、販社管理」等全ての責任を担い、
チーム人員と予算、時間等の全ての資源を通常プロジェクトの半分以下で行いました。
そして、たった3年の開発期間と1年の市場展開で「世界トップのポルシェやフェラーリと並ぶ商品ブランドの構築」を実現しました。

また、レース活動に於いても「監督、チーフエンジニア、レースエンジニア」を一人で兼任し、開発からレースの参戦まで、他のワークスチームに比較して
50%以下のチーム人員と予算で活動しました。

その結果、王者ポルシェやジャガーなどと闘った “メーカー選手権” では、参戦初年度から3年連続してチャンピオンを獲得し、世界3大耐久レースの一つ
”デイトナ24Hrレース”
では、1992年 初参戦で殆どのレースレコードを塗り替え総合優勝を果たしました。

世界との闘いの中で養い実践してきた「新しい商品やサービスの企画&開発」「組織改革や人材の育成」「未来思考の自己研鑽」など、これまでの
ノウハウや発想法及びその実現方法などを皆さんに訓えていきたいと想います。
そして、
社会的責任を負い、個人の生きがいや生活スタイルを創り出し、あらゆる商品要件を取り入れた「クルマ」を通して ”ユーザーの方々には、
正しい商品知識や情報” を、併せて “次世代を担うエンジニアの方に向けては、技術ノウハウや見抜きのセンス” などを訓えていきたいと想います。

経歴

1952年 1月 長野県千曲市生まれ
1972年 4月 日産自動車入社。シャシー設計部配属
1970年 後半~ セドリック、グロリアに日本初の直6ガソリンターボ、直6ディーゼルエンジン搭載を開発
ブルーバード、サニーのFRからFF化へのプラットフォーム計画と設計開発
1980年 中頃~ P10初代プリメーラ、R32スカイライン、A31セフィーロ等の新規車両パッケージの提案及び車両全体計画と設計開発
1988年 4月~ 英国ローラ社とのグループCプロトタイプレース車(R89C)の共同開発を担当
兼任で「世界耐久メーカー選手権(WSPC)」及び「国内耐久メーカー選手権(JSPC)」にレースエンジニアとして参戦
(日産、NISMO、日産MSヨーロッパの3社を兼務)
1989年12月~ NISMO社へグループCレース事業部門の責任者として出向
世界に例のない「チーム監督、チーフエンジニア、トラックエンジニア」の3役を兼任し、R90CP~R92CP、NP35などの
レース車を開発すると共に国内及び海外レースに参戦

・着任初年度より3年連続して、国内メーカー選手権(JSPC)のチャンピオンを獲得
・1992年デイトナ24hrレース初参戦で総合優勝を獲得(特に92年は参戦した全レースで優勝)
・プライベート活動で国内F3000レースに開発エンジニアとして参戦し、チャンピオンを獲得
☆日産自動車レース活動黄金期を構築
1993年 1月~ 日産自動車に復職。
スカイライン、ローレル等、日産全乗用車系の車両パッケージ及び車両計画の設計責任者として開発を担当
1995年 1月~ 日産自動車で車両計画の設計責任者として就業すると共に、兼任でNISMO社に出向しR33GT-Rレース部門の責任者として
”国内GTレース選手権” 及び ”ル・マン24hrレース”に「チーム監督、チーフエンジニア、トラックエンジニア」の3役兼任で参戦。
・国内GT選手権チャンピオン獲得、ル・マン24hrレース10位
1998年~ ・プレミアムクラスの高性能FR車両開発責任者(CVE)に就任
・世界初となる“新V6搭載 高級高性能車用の編集設計共用化プラットフォーム”
「フロント・ミッドシップ・パッケージ(FM)」の新規提案及び搭載車両を開発 [V35型スカイライン、Z33型フェアレディ、ステージア、FX35&45 等]
☆新規プラットフォーム適用車(5車種)を2年の短期で発売し、日産リバイバルプランの早期達成に貢献
☆北米インフィニティ系販売系列の復活及び、日産系スポーツカー復活に貢献
2003年12月~ Nissan R35GT-Rのグローバル・プロジェクト統括総責任者に就任
・世界初の “超高性能車用の編集設計共用化プラットフォーム”「独立型トランスアクスル・パッケージ(PM)」を新規提案しR35GT-Rに搭載採用
(R35GT-Rの企画、開発、生産、営業、収益、品質、及び新規販売網構築等プロジェクトに係る全ての業務の遂行と達成を担う=[CPS(企画)、PD(収益)、CVE(車両開発責任者)を兼務])
☆世界トップカテゴリー・スーパーカー領域:発売後1年という短期間でトップブランドの構築と世界最高性能を実現
2013年3月末 日産自動車退社
2013年4月~ 人材育成活動「生きる力 プロジェクト」の主宰
(R35GT-R開発を含め数多くの車両開発及びレース活動等の経験から証明した…「日本人の力と文化は、世界の歴史に無い短時間と少資源で最高の価値が創造出来る=日本ナショナリティーブランド」の構築推進)
<その他の活動>
・新商品開発や企業力、人材育成のための講演及び研修
・自動車メディアでの試乗&検証記事執筆(評論家ではなくエンジニアとして)
・書籍の出版及び研修&自己研鑽教材(DVD&CD)の発売
・テレビ&ラジオ等への出演、その他各種媒体での取材対応
2014年9月~ 台湾裕隆グループの自主ブランド「LUXGEN」の開発会社「台湾 HAITEC社」企画&開発担当上級副社長
日本HAITEC Japan社 代表取締役COOとして就業(2019年11月末 退社)
2020年5月~ プロジェクト・カーズ合同会社 (Project KAs LLC) 設立

 

会社業務案内

・ 自動車及び関連商品の「商品情報や技術知識、及び 車両検証結果」などについてのインターネット配信や出版
・ 新たな商品開発の創造法や組織の改革、人材の育成や研鑽法、及びブランド戦略等についての講演、研修活動及び出版
・ 上記に関連した、企業向けコンサルタント及び実行支援

“お問い合わせはこちら”

PAGETOP